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座禅の先にあるもの

俺の家は曹洞宗の檀家だ。

曹洞宗は禅宗で、開祖は道元禅師様。道元禅師の教えは「ただ座れ」だ。


禅宗は座禅を組む。他の禅宗では、座禅を組みながら、自分の内面と向き合えという教えもある。

しかし曹洞宗の場合は、何も考えずただ座れと言う事なのだ。


これが俺には難しい。

難しいというのは、考えずに座る事もあるが、

何も考えずに座る事に、どういう意味があるのかが分からないから難しいのだ。


何も考えずに座る事は、訓練すればある程度できる様になる。

何か思い浮かんだら思い浮かんだ事を「~を考えない。」と潰せば良い。

そうしている内に、何も考えない時間が増えてくる。

しかし座禅の最初から最後まで無になる事は俺には到底できない。


道元禅師や曹洞宗のエライ坊さんはこれができるのだろう。

それが出来た人が掴む何かがあるのだろうが、

それが何なのかが分からない。

それを掴む、つまり悟る事を求めて、何も考えずにただ座れと言う教えなのだろう。


日頃世間の柵に苛まされている頭に、何も考えない座禅は良いと思う。

何も考えず、深い呼吸を繰り返す事によって、

生理的にも良い作用があるのだろう。


できれば毎日一定の時間を設けて座禅を組むのが良いのだろうけど、

怠け心が先に立ちできないで居る。

できない事はある意味、振り回される現代社会の構造も

人間にとっては良くない事なのだと思う今日このごろだ。



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