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国語教育の危うさw

先日、
国語のセンター試験の問題があったから、
ちょいと解いてみた。

問題は、
ある文の一節を切り取って、
作者は何を意図しているのか解答せよという物だった。

答えは選択式で、
俺にはどれも当てはまらない様に思えて解答できなかった。

正解を見てみたが、
俺にはそれが正解しているとは思えなかった。

こないだラジオである作家が、
自分の作品の一節が国語のテスト問題になっていて、
作品の一節が切り取られ問題となり、
作者は何を意図しているのか解答せよと書かれていた。

作家は自分か書いた文だから、
誰よりもどんな意図を持って書いたか知っている。
所が問題の回答を見てみたら、
全然違う事が正解として書かれていたそうだ。

蛍の墓を執筆した野坂昭如氏の愛娘が、
学校の国語の授業の問題で、
『「蛍の墓」を書いた作者は、
どんな気持ちでこの作品を書いたのか。』
という問題が出たそうだ。

娘さんは作者である執筆当時の父親の姿をよく覚えていて、
「締め切りに追われて、必死な思いで書いていた。」
と父親が言っていたから、
その様に解答した所、✕だったそうだw。

音楽もそうだが文学なんてのは、
作者の手を離れてしまったら、
独り歩きをしてしまうのだろうな。

だから、
読み手、聞き手によって解釈は異なる。
たとえ作者が意図した事でも、
受け手によって解釈は違って来る。

文学なんてのはそんなものだ。
それで良いと思う。
だから面白いのだ。

それを学問として、
どっかのお偉いセンセーが、
屁理屈並べて型に嵌めようとしているのが、
現代日本の国語教育で、
近年意味不明な文章を書く奴が増えているが、
それは、現代日本の国語教育の成れの果てなんだと思う。

昔、難解な文章を読み解くのがインテリの証だという風潮があったが、
俺は文章は他人に意思を伝える道具だと思っているから、
極力分かりやすい文章を書くべきだと思っている。
難解な文章は、一部のマニアの間だけで良いと思う。
それを国語の試験の題材にするのは、
カルトクイズをやっている様な物で、
教育の試験としては不適格だと俺は思う。

特に説明文などは、分かりやすさに徹するべきだと思うのだが、
時に、意味不明な説明文に出くわす事がある。
説明文を書いた奴の国語力が無いのだな。

近年、ネットやスマホが普及し、
ひとこと、ふたことのつぶやきはあるが、
まとまった文章を書く機会が少なくなったせいと、
子供達が本を読まなくなった事の影響が大きいと思う。

試験の問題はカルト問題だし、
日本人の国語力は今後、
益々低下して行くにちがいない。

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