勝手にぶつぶつ
仕事ストーカー
会社のトラックが駐車場に停めてある。時折仕事で使う。
資材が載っていたり、ユンボが載っていたりする。
それを毎日観察しているオヤジが近所に居る。
そのオヤジは、長年建設業に従事していたんだが、昨年より病気をして今は休業している。
寝こむほどでは無いが、軽い仕事程度しか出来ない。
経済的に厳しいみたいだから、俺も以前簡単な仕事を出してやった事がある。
先日も翌日の仕事の資材を載せて駐車していたら、
翌朝そのオヤジから電話が来た。
「トラックに資材が載っているね。」と。
トラックに資材が載っていようが居まいが大きなお世話だ。
多分仕事を手伝わせて欲しいと言う事なのだろう。
しかし安い価格で受けた仕事だから、外注する余裕は無い。
ウチの職人にやらせる。
このオヤジ、トラックにユンボが載せてあると、「どこで工事をするのか」とか、
砂利が載せてあると、「何をするんだ」とか電話が来る。
良くもまぁ毎日ウチのトラックを見ているものだと、
しかも電話までしてくるものだと呆れるやら感心するやら。
始めの内は世間話なども混じえて話していたが、
最近では面倒臭くなって適当に電話を切るようにしている。
仕事をしたいのは分かるが、ウチの職人では無いし、
病気持ちでちゃんと動けないから仕事は頼めない。
しかもこのオヤジ、飲酒運転で免取りになって、車の運転が出来ない。
可哀想に思うが、仕事はだせない。これは仕方の無い事だ。
来週また資材を載せて準備する事があるんだが、
また電話が掛かってくるのだろう。
しかも現場に出る時間帯に。

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男のヤキモチ
夏祭りの準備で俺は役員では無いものの、要請を受けて櫓を組んだり、テントを建てたり手伝いをした。
別に見返りを望んでは居ない。缶ビールの二~三本も頂ければそれで十分だ。
だから手伝いをした後、仕事もあったからさっさと引き上げた。
その他の人達は準備が終わった後、集会所で一杯やったらしい。
先日役員の人から電話が来て、夏祭りの準備のお礼があるから届けると電話が来た。
俺は断ったのだが、わざわざ取っておいてあるから今から持ってゆくと言うのだ。
丁度その時表にいて、近所の男と世間話をしていた。
その男も祭りの手伝いをしていた男だ、
俺はその男は、とっくに手伝いのお礼を貰っていた物だと思っていた。
しばらくすると、役員の人が紙袋を持ってやってきた。
中には菓子折りとタオル、500円のプリペードカードが入っていた。
俺は恐縮しながら受け取った。
役員は何故か気まずい顔をしていた。
立ち話をしていた近所の男の表情が変わった。
俺は気がついた。役員は立ち話をしていた男には、お礼を渡して居ないのだと。
役員が立ち去ったあと、近所の男は言った。
「俺そんなの貰ってねぇ。頭に来るな!」
そんな頭に来る程の物でも無い。
俺はもらったお礼をその男に渡そうとしたが、
それはそれでその男のプライドを傷つけてしまいそうだったから、
さっと話を切り上げて部屋に戻った。
思い返せば、近所の男は、準備が終わった後に、集会所で飲んで食っている。
俺は仕事だったから、準備が終わったら速やかに引き上げた。
役員はそれを見て、お礼を持ってきてくれたのだろう。
近所の男は、自分が飲み食いしたのを棚に上げてお礼の品を貰っていないとヤキモチを焼いたのだ。
良い歳こいた男がだ。
この事で、俺はその近所の男の器の小ささを知った。
そんなに煎餅とプリペイドカードが欲しいのか?たかだか総額千円程度の内容だ。
それまで親しく思っていた近所の男に対して、
俺の心の中で、少し距離が空いた。

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店長
配属された営業店の店長は、後に俺が転職した先の社長でもあった。
店長は、大学を卒業して大手商社に入社した。
それから独立して何か商売をやっていたらしい。
そこである程度資金を貯めて、俺が入った会社に入社した。
その会社でノウハウを学んで独立したのだった。
俺がその店長の下に居た時、営業の多くを学んだ。
店長は手取り足取り教えるタイプでは無く、状況を作って挑戦させるタイプだった。
だから仕事のやり方にいちいち口を出すこともしなかったから、
俺は試行錯誤で営業の技術を上げていった。
店長は決して放任主義では無く、ちゃんと俺達の事を見ていてくれた。
それは俺達にも分かっていて。だから俺も店長に信頼を置いていた。
しばらくして俺は他の営業店に配属になった。
店長は本社に呼び戻された。
一年もしない内に店長は会社を辞めて独立した。
俺も少し遅れて、当時の上司が嫌になって会社を辞めた。
俺が当時の上司が嫌になったのは、店長と真反対の性格だったからだ。
俺が店長の会社に、辞めた事を報告しに行くと、直ぐに来いと言われ、
ありがたく店長の会社に入れてもらった。
俺が入社する前に、もう一人社員が入社していた。
その人も、俺と同じ会社に居た人で、店長には全服の信頼を置いていた人だった。
小さな事務所だった。社員は店長、事務員、そして俺を含む営業二人を入れて計4人。
小さな会社だったけど、みんな希望があったし、業績も順調に伸ばしていった。
店長の経営は固かった。決して派手な事をするタイプでは無かった。
ただし、1つだけ問題があった。
それは事務員だ。事務員は店長の愛人だった。
事務員は俺が最初に就職した会社のパートタイマーだった。
派手なケバい女だった。
地味な店長は、一発でイカレてしまった様だ。
細かな経緯は分からないが、
店長が独立する時に、この事務員といっしょに会社を始めたらしい。
業績が良くなって社員も増えて、金回りも良くなってきた。
社員が増えると、いろんな軋轢が出て来る。また会社の体制も変わる。
それに俺より先に入社した社員は馴染めず、退社した。
この社員は、いわばお目付け役で、店長と事務員の関係を知っていた。
だから、この人が事務員の勝手な事を許さない抑止力になっていた。
しかし、その人が辞めてしまってからと言うもの、事務員は事実上、会社のNo2になった。
もともとあまり頭の良い女では無かったから、勝手な事をやり始めた。
当時業績が良かった事もあって、毎年社員旅行に出かけていた。
その行き先は、事務員の希望で決まっていた。
俺が辞める直前、一時会社の資金繰りが悪かった事があった。
おれは社員旅行に反対した。しかしそれを押し切ってヨーロッパへの旅行を敢行した。
その結果、その年の冬のボーナスが支給されなかった。
旅行に行くぐらいなら、みんな生活があるのだから、ボーナスを支給して欲しかった。
また気に入った営業マンをえこ贔屓する様になり、
事務員に苦言を呈するおれは次第に疎ましがられ、
店長も事務員の言う事を鵜呑みにする様になり、
俺が何か怪しげな動きをしていると、ありもしない事を店長に告げ、
その事を店長も信じた様で、
俺の店長に対する信頼も消えてしまった。
そして俺は店長の会社を去る事にした。
その後店長の会社は躍進して、事務所も駅前通りに移転して、
子会社も出来て栄華を極めていた。
所が、リーマン・ショックで大打撃を受けた。
それまで好調だった売上はピタリと止まり、
手を広げすぎた事業は一気に不良債権になってしまった。
それでも4年程粘ったが、とうとう資金繰りに詰まってしまった。
今は田舎の小さな事務所で店長一人でやっているらしいが、
以前前を通りかかったら、人影はなかった。
店長の失敗は事務員だったと思う。
俺が退社した時に、事務員は専務取締役に就任したらしい。
その後事務員を抑える人がおらず、何も分からない癖に業務に口を出すようになった。
それを店長も何も言わなかった。
その内事務員の出戻りの娘も事務員として雇い、事務員の息子も子会社の社員として雇ったらしい。
息子の方は一緒懸命に仕事をしたらしいが、
出戻りの娘の方は母親と同じで、大して仕事もしていなかった様だ。
事務員の方も毎日出社するのは午後2時頃で、6時には買い物をして帰ると言う勤務。
娘の方も昼ごろ出社して夕方帰るという、まるで遊びに来て給料を貰っていた様だ。
おそらくこの二人に、年間1千万円以上の報酬を支払っていたのでは無いかと思われる。
景気の良い時には、そのぐらいの費用負担もできるのだろうが、景気が悪くなったら、
そういうものは一気に負担になる。
普通の事務員ならクビを切る事もできるが、
取締役でもあるし、長年付き合ってきた愛人だからそうも行かない。
これが正妻ならば、処遇のしようもあるが、愛人とが厄介な物の様だ。
もちろん会社が破綻した原因は長引く不況なんだが、その時代の急激な変化に
対応しきれなかったのが原因なのだろう。
破綻したとの報を受けた時は、ちょっと信じられなかった。
色々あったが、大変お世話になった人でもあるし、
今の自分があるのは、店長の下で勉強させてもらったおかげだ。
もしあの事務員がいなかったら、今でも店長の下で仕事をしていたかも知れない。
世の中とは、分からないものだ。また、男女の仲も分からないものだ。

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オカマの成れの果て
オカマは俺より5歳ぐらい上の小太りで、前歯が1本欠けていた。
オカマは酒癖が悪く、度々小さなトラブルを起こしていたらしい。
オカマは知り合いの工務店の社長の所に出入りしていた。
オカマは工務店の社長が独立する前にいた建設会社の営業マンだったそうだ。
俺は工務店の社長からオカマを紹介された。
当時オカマは失業状態だった。
そのオカマは会社を立ち上げようとして、色々画策していた。しかし資金が無かった。
当時インターネットはまだ一般的では無かった。
その頃から、HPを立ち上げ、建築に関する組合の様な物を設立させようとしていた。
賛同した人達が20人ぐらい居た。
オカマは俺に近づいてきた。オカマとしてでは無く、仕事としてだ。
もちろんその時に俺は、そいつがオカマだとは知らなかった。
俺は宅地建物取引主任者の資格を持っていたから、
今にして思えば、どうもそれを利用しようとしていた様だ。
オカマは口が達者だった。
俺もその当時、独立を何となく考えていた。
最初は資金が無いから、組合の様な所に入れてもらって、
仕事を回してもらうのも悪くないと思った。
オカマは俺を仲間に引き込んで、建設会社を設立しようとした。
具体的に話が進むにつれ「あれ?」と思う事が増えて来て、
俺はオカマに不信感を持つようになった。
しかし工務店の社長の紹介でもあるから、無碍にはできなかった。
オカマはどこかで賃貸物件を乗っ取って、俺に提案した。
そこを事務所にして、
夜はそこを、女装趣味のある人達の衣装部屋にして賃料を取ろうと。
その物件は1DKの分譲マンションで、所有者が住んで居たが、
所有者が支払いを滞らせて、差し押さえを食らっていた。
どこでそういう情報を仕入れて来たのか知らないが、
上手い事を言って、所有者をどこかに追い出し、オカマが専有してしまったのだ。
俺はその時にオカマに女装趣味がある事を知った。
またオカマのネットワークも持っているらしく、
ネットで知り合った金を持っている滋賀県のオカマを誘い出し、資金を出させようとしていた。
俺は何の事情も全く知らないのに、
有る日突然、滋賀のオカマの母親から俺の所に電話が来て、
息子を家に返して欲しいと訴えたのだ。
どうやらオカマが滋賀まで言って、俺の名刺を出して滋賀のオカマを誘い出した様なのだ。
オカマは俺を利用したのだ。
母親からの電話を受けて、オカマが画策して居る事を知った。
滋賀のオカマの母親には、俺は一切関係が無い事を説明して納得してもらった。
オカマは、俺を代表にして、滋賀のオカマから資金を引っ張って、
会社を設立しようとして画策していたのだ。
冗談じゃ無い!奴は俺を責任者にして、好き勝手な事をやって、
何かあったら、責任を全部俺に引っかぶせようとしていたのだ。
俺は怒って、工務店の社長の立ち会いのもと、
オカマと滋賀のオカマを呼び出して、俺は一切関係が無いと言う念書を取った。
それっきりオカマは俺の前に現れなくなった。
それから数年経った後、地方欄の小さな記事が目に止まった。
そこにはオカマの名前があった。
記事によると、入浴施設で酒を飲んで暴れて逮捕されたとの事。
あのオカマならやりそうな事だと思った。

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ボードビリアン
ホンの2ヶ月だけお世話になった会社がある。建設会社だった。
社長は四国の出身で、学生の頃は柔道をやっていたそうで、体格が非常に良い。
本当はボードビリアンを目指していたそうなんだが、夢破れてセールスの道に入った。
四国を出で関西に移り住んだ社長は、飛び込みでレジスターの販売をやった。
しかしそんなに簡単に高価なレジスターが売れる訳が無い。
朝から晩まで歩きまわって、靴をすり減らし頑張ったそうだ。
それから関東に移り住み、今度は不動産屋に就職したそうだ。
不動産の経験は無く、有るのはレジスターの訪問販売のノウハウだけ。
社長は、レジスター訪販のやり方で、かたっぱしから飛び込み営業をやって、
夜は電話帳から電話営業を繰り返して売上を伸ばした。
折しもバブルに差し掛かったと言う事もあった。
ある程度資金を貯めて、小さな建設会社を起こした。
モデルハウスなんか無い。営業スタイルは飛び込み営業だ。
時代はバブルで、そんなやり方でも売上は伸びた。
更に資金を貯めた社長は、隣町の駅の近くに、
土地を買ってモデルハウスを兼ねた立派な事務所を構えた。
自社で始めた頃から、社長のふたりの息子も社員として働き始めた。
ひとりは営業部で、ひとりは建築部に所属していた。
心機一転、社名も変えて業務を始めた。
所が、そこの営業スタイルも飛び込み営業だった。
バブルが崩壊して、建設市場も冷え込み始めていた。
他の建設会社では、住宅展示場で客を引いたり、現場見学会を開催したり
チラシを配布したりして集客をしていた。
営業マンもそれなりに教育して建築の知識を身につけさせていた。
所が、この社長のやり方は、昔のレジスター売りのやり方一辺倒だった。
他のやり方を信じていなかった。
もとろん社員教育に建築に関する教育は無い。
ただ飛び込め!と言うだけだった。
俺はこの頃、ある人の紹介でこの社長と会った。
情熱的で、一所懸命な人だった。悪い人では無い。
その時社長は、俺専用の部門をつくるから来てくれと言った。
おれも、専用の部門を作ってくれるのならと言う事で転職した。
所が入社したら話が違っていた。
建築の営業の責任者としてやってもらいたいとの事だった。
ただし、何も成果が無くて責任者というのも説得力が無いから、
当初は営業マンとしてやってもらって、成果を上げて欲しいと言う事だった。
俺はいきなり訪販の営業マンになってしまったのだ。
俺は騙されたと愕然とした。そんな事なら転職などしない。
しかし今更戻れない。仕方ない、ここで身を立てるしか無いのだ。
営業方式は前述した通り、レジスターの飛び込み営業同様。
やり方は、訪販の会社に良くある軍隊方式。
俺は面食らった。
12~3人居た営業マンで、
建築の経験者のある物は、俺を含めて3人だけ。
一人は1級建築士、もうひとりは大手ハウスメーカーの元営業マン。
それ以外は、全く別の業種から来たド素人ばかりだった。
営業は、住宅地図でエリアを決めて、かたっぱしから飛び込み営業をさせると言うもの。
しかし営業マンに建築の知識はないから、ただ飛び込むだけで成果は上がらない。
たまに間違って、建築を予定していると言う客に出くわす。
そういう言う客がいたら、とにかく事務所に呼びこんで、後は社長が接客すると言うスタイル。
昼間は飛び込みで歩きまわり、夕方以降は、夜9時まで電話帳からテレコール。
毎日やっているから、電話を掛けられる方も「またか」と言う感じで、愛想もなく切られる。
俺と一級建築士と元営業マンは、エリート部隊としてグループを組まされ、
一台の営業車を与えられた。
最初の一日、二日は飛び込み営業もしたが、あまりの手応えの無さ、
やり方の非効率化に辟易して、三日目ぐらいからどうでも良くなってきた。
一級建築士も元営業マンも同じぐらいの歳で、意見があった。
みんなそれぞれ事情があって、この会社に入ったが、失敗したと口々に言った。
そもそもやり方が建築屋のやり方では無く、全くの訪販のやり方で、
効率が悪い事は、経験者なら直ぐに分かった。
しかし社長は訪販のやり方しか知らないから、このやり方を崩そうとはしない。
営業マンもそんなだから、短いサイクルでぐるぐる変わる。永続的では無い。
俺達の心の中では、三日目にして既に辞める決意が固まっていた。
みんな営業に出る振りをして、就職活動に動いた。
まだ若かったし、景気も今ほど悪くはなかったから、就職は程なくみんな決まった。
俺も元の業種に戻る事にした。
俺が入社して1ヶ月程経った頃、俺と一級建築士、元ハウスメーカー営業マンが酒の席に呼ばれた。
そこで社長から我々三人に、ゆくゆくは会社の中堅になってもらいたいと言われた。
俺達は既にこの会社を辞める決意でいたから、その話を聞いて戸惑った。
とても今のスタイルでは、やって行けないと思っていたからだ。
まずい酒だった。
俺達は2か月後に一斉に辞めた。別に口裏を合わせた訳では無い。
俺が「月曜日に辞める事にする。」と言ったら、他の二人も俺に合わせた様だ。
会社には電話を一本入れただけ。
もし社長と面談して退社を告げようものなら、執拗に引き止められたに違いない。
それに訪販の会社なんてのは、こんな物で良いのだ。
それから5年程後、その会社の噂を聞いた。倒産したそうだ。
やはり素人集団の訪販のやり方では、売上が伸びず行き詰まってしまったみたいだ。
事務所は人手に渡り、社長はどうしたのかは知らない。
当時年齢も60歳ぐらいだったから、再就職もままならなかったと思う。
時代の変化に併せて、会社のスタイルも変えて行かないと、生き残って行けないのだ。
あのボードビリアンを目指していた社長、今はどうしているのだろう。
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