忍者ブログ

ボードビリアン

ホンの2ヶ月だけお世話になった会社がある。建設会社だった。

社長は四国の出身で、学生の頃は柔道をやっていたそうで、体格が非常に良い。
本当はボードビリアンを目指していたそうなんだが、夢破れてセールスの道に入った。
四国を出で関西に移り住んだ社長は、飛び込みでレジスターの販売をやった。

しかしそんなに簡単に高価なレジスターが売れる訳が無い。
朝から晩まで歩きまわって、靴をすり減らし頑張ったそうだ。

それから関東に移り住み、今度は不動産屋に就職したそうだ。
不動産の経験は無く、有るのはレジスターの訪問販売のノウハウだけ。
社長は、レジスター訪販のやり方で、かたっぱしから飛び込み営業をやって、
夜は電話帳から電話営業を繰り返して売上を伸ばした。
折しもバブルに差し掛かったと言う事もあった。

ある程度資金を貯めて、小さな建設会社を起こした。
モデルハウスなんか無い。営業スタイルは飛び込み営業だ。
時代はバブルで、そんなやり方でも売上は伸びた。

更に資金を貯めた社長は、隣町の駅の近くに、
土地を買ってモデルハウスを兼ねた立派な事務所を構えた。

自社で始めた頃から、社長のふたりの息子も社員として働き始めた。
ひとりは営業部で、ひとりは建築部に所属していた。

心機一転、社名も変えて業務を始めた。
所が、そこの営業スタイルも飛び込み営業だった。
バブルが崩壊して、建設市場も冷え込み始めていた。

他の建設会社では、住宅展示場で客を引いたり、現場見学会を開催したり
チラシを配布したりして集客をしていた。
営業マンもそれなりに教育して建築の知識を身につけさせていた。

所が、この社長のやり方は、昔のレジスター売りのやり方一辺倒だった。
他のやり方を信じていなかった。
もとろん社員教育に建築に関する教育は無い。
ただ飛び込め!と言うだけだった。

俺はこの頃、ある人の紹介でこの社長と会った。
情熱的で、一所懸命な人だった。悪い人では無い。
その時社長は、俺専用の部門をつくるから来てくれと言った。
おれも、専用の部門を作ってくれるのならと言う事で転職した。

所が入社したら話が違っていた。
建築の営業の責任者としてやってもらいたいとの事だった。
ただし、何も成果が無くて責任者というのも説得力が無いから、
当初は営業マンとしてやってもらって、成果を上げて欲しいと言う事だった。
俺はいきなり訪販の営業マンになってしまったのだ。

俺は騙されたと愕然とした。そんな事なら転職などしない。
しかし今更戻れない。仕方ない、ここで身を立てるしか無いのだ。

営業方式は前述した通り、レジスターの飛び込み営業同様。
やり方は、訪販の会社に良くある軍隊方式。
俺は面食らった。

12~3人居た営業マンで、
建築の経験者のある物は、俺を含めて3人だけ。
一人は1級建築士、もうひとりは大手ハウスメーカーの元営業マン。
それ以外は、全く別の業種から来たド素人ばかりだった。

営業は、住宅地図でエリアを決めて、かたっぱしから飛び込み営業をさせると言うもの。
しかし営業マンに建築の知識はないから、ただ飛び込むだけで成果は上がらない。
たまに間違って、建築を予定していると言う客に出くわす。
そういう言う客がいたら、とにかく事務所に呼びこんで、後は社長が接客すると言うスタイル。

昼間は飛び込みで歩きまわり、夕方以降は、夜9時まで電話帳からテレコール。
毎日やっているから、電話を掛けられる方も「またか」と言う感じで、愛想もなく切られる。

俺と一級建築士と元営業マンは、エリート部隊としてグループを組まされ、
一台の営業車を与えられた。
最初の一日、二日は飛び込み営業もしたが、あまりの手応えの無さ、
やり方の非効率化に辟易して、三日目ぐらいからどうでも良くなってきた。

一級建築士も元営業マンも同じぐらいの歳で、意見があった。
みんなそれぞれ事情があって、この会社に入ったが、失敗したと口々に言った。
そもそもやり方が建築屋のやり方では無く、全くの訪販のやり方で、
効率が悪い事は、経験者なら直ぐに分かった。

しかし社長は訪販のやり方しか知らないから、このやり方を崩そうとはしない。
営業マンもそんなだから、短いサイクルでぐるぐる変わる。永続的では無い。

俺達の心の中では、三日目にして既に辞める決意が固まっていた。
みんな営業に出る振りをして、就職活動に動いた。
まだ若かったし、景気も今ほど悪くはなかったから、就職は程なくみんな決まった。
俺も元の業種に戻る事にした。

俺が入社して1ヶ月程経った頃、俺と一級建築士、元ハウスメーカー営業マンが酒の席に呼ばれた。
そこで社長から我々三人に、ゆくゆくは会社の中堅になってもらいたいと言われた。
俺達は既にこの会社を辞める決意でいたから、その話を聞いて戸惑った。
とても今のスタイルでは、やって行けないと思っていたからだ。
まずい酒だった。

俺達は2か月後に一斉に辞めた。別に口裏を合わせた訳では無い。
俺が「月曜日に辞める事にする。」と言ったら、他の二人も俺に合わせた様だ。

会社には電話を一本入れただけ。
もし社長と面談して退社を告げようものなら、執拗に引き止められたに違いない。
それに訪販の会社なんてのは、こんな物で良いのだ。

それから5年程後、その会社の噂を聞いた。倒産したそうだ。
やはり素人集団の訪販のやり方では、売上が伸びず行き詰まってしまったみたいだ。
事務所は人手に渡り、社長はどうしたのかは知らない。
当時年齢も60歳ぐらいだったから、再就職もままならなかったと思う。

時代の変化に併せて、会社のスタイルも変えて行かないと、生き残って行けないのだ。
あのボードビリアンを目指していた社長、今はどうしているのだろう。


にほんブログ村


PR

この記事にコメントする

お名前
タイトル
メール
URL
コメント
絵文字
Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
パスワード