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意識する部落地域

関東では部落地域は今や都市化して、どこにあったのか分からない。外部の人も移住してきて、そんな事に拘る人は、地元の古い人しかいなくなった。
所が関西に行くと部落地域は今でも存在していて、地元の人もそれを意識している様だ。

というのは、この度関西方面で仕事があって、ある物件を契約したんだが、その際、買主とその家族が部落地域の事をしきりに気にしていたのだ。俺は関西の事については良く知らずに、ただ単に良い物件だから紹介しただけで、そもそも部落うんぬんという考えが最初から丸でなかった。

客に言われたので、後から調べてみたら、物件から数ブロック離れた場所に、日本でも有数な大きな部落地域がある事が分かった。それと同じ市内で、ある地域の物件を紹介した時に買主が「ここの地域は考えて居ません。」と言ったので、単に嫌いな場所なのだと思っていが、そこも部落地域だという事が分かった。と言っても今はすっかり都市化して、中高層の共同住宅が建っていて、そいう地域だという事は、外から見ただけでは全然分からない。

客はその地域の人ではなく、隣町から来た人なんだが、その部落は関西地域でもかなり有名な所らしく、家族から反対の声が出たそうだ。

関東に居ると、部落意識と言うのはごく一部の人にしか無いんだが、関西では、一部の地域だけなんだろうが、根強くそういう意識が残っているみたいだ。

俺は思うに、部落地域について、変に学校で教育するから意識するのであって、何も言わなければ、自然に消滅してしまうのでは無いかと常々思う。

俺が生まれ育った場所から、2キロぐらい離れた場所にも部落地域があって、中学校は同じ学区だった。当然部落地域出身の同級生も沢山居たが、俺の生まれ育った地域では、いわゆる同和教育はしていないかったから、何のわだかまりも無く仲良くやっていた。そこが部落地域だと知ったのは、大人になってからで、それを知った今でも何ら偏見は無い。
言われてみれば、子供の頃は質素な建物が多かったが、今は普通の住宅街になっていて、そこが部落だという人は居ない。

多感な子供の頃に同和教育をすると、却って意識してしまって逆効果なのでは無いかと思う。また同和地区出身だとして、変な権利を主張する似非同和も、この問題を悪くしている。

人間は生まれた場所によって違う訳では無い。確かに文化による違いはあるが、現代の日本では、余程特殊な環境に無いのであれば、況してや都市化して外部の人も沢山流入して居る様な地域を、特異な目で見るのは如何な物かと思う。

まぁ今回の物件は部落地域では無く、買主本人は物件を気に入っていて、家族も同意したので何ら問題は無いが、関西の不動産営業マンは、そんな所も考慮しながら仕事をしているのかな?と、ふと思った次第だ。
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