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ジャンボ機墜落から34年

日航ジャンボ機が群馬県御巣鷹山に墜落して34年が経った。
亡くなられた方のご冥福をお祈りする。
また被害者、ご遺族の方にお見舞い申し上げる。

当時の記憶は今でも鮮明にある。
当時学生だった俺は居酒屋でアルバイトをしていた。
食材の一部が足りなくて他店にクルマで取りに行った時の事、
ニュース速報で航空機が墜落したらしいと一報が入った。
その後は情報が錯綜し、
どこに墜落したのか混乱していた様子で、
墜落場所が特定されたのは、
墜落の報があってから随分経ってからだった。

20時頃から全ての通常番組がキャンセルされて日航機墜落特番に変わった。
翌日からは全ての局の番組は日航機墜落の特番になった。
朝から晩までずっと日航機墜落の特番だ。
東日本大震災の時と同じと思えば分かりやすい。
それだけ重大な事故だった。

当時同級生が空自に居て現地に入った。
現場は凄惨な状況で、
あちこちに人間の手足や焼け焦げた遺体、
何だか分からない肉片が散乱して居たり、
遺体や体の一部が木に引っかかっていたそうで、
夏とあって臭気が凄まじく、
とても飯を食う気になれなかったそうだ。

原因は当該事故機が
事故の数年前に起した
しりもち事故で破損した圧力隔壁の
修理がまずかったと結論付けられた。
それに異を唱える説は今でも沢山ある。
原因は定かではない。

後日当該事故機のフライトレコーダーが公開され、
乗員が必死に対応していた様が生々しく伺えた。


500人以上が死亡した凄惨な事故にも関わらず、
数人の生存者も居た。
いずれも機体の後部に搭乗していた人だった。
その中のひとりの少女は後にキャビンアテンダントになった。

この事故はつい最近起きた様に思えるんだが、
既に34年も経っていたんだな。
遠い昔の話になって、
マスコミは当該事故について詳しく触れる事はなくなった。
それだけ長い時間が過ぎたと言う事なんだが、
俺の中では記憶が色あせる事は34年経っても無い程、
衝撃的な事故だった。
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