忍者ブログ

子供を守れない大人たち

俺は、大人は子供を保護する義務を負っていると思っている。
それは、他人の子供に対してもだ。

千葉県野田市で、10歳の少女が父親に殺された。虐待死だ。

事件が起きるまで、学校、教育委員会がこの件に関わった。
少女は一時児童相談所に保護もされた。
所が少女は再び親元に返され、父親に殺された。

少女は学校が実施した、いじめのアンケートに、父親から虐待を受けている旨の回答をし、
学校が少女の虐待を知る事となった。

少女の虐待が発覚した学校のアンケートを、教育員会はそのコピーを父親に渡している。
野田市の記者会見で
「(教育委員会は)恐怖に屈した部分が多かった。一時保護に納得できない訴訟も辞さないと言う様な怒りを鎮めるために、恐怖から(アンケートを)出してしまった部分が大きい」
と公言した。
さらに市は、少女を一時保護した後、父親が学校長に対して、
「今後、少女を保護する際には、すぐに父親に情報を開示する」旨の念書を書かせていた。

少女が父親に殺されてしまったのは結果論になるが、
少女に関わった父親以外の教育者達は、一体何をしていたのだろう。
教育者とそれに関わる者は子供を守る事が職務ではないのか?
恐怖に屈したとは何事か!教育者としての信念など何もない。
ただの根性無しの事務職だ。
ひとりで怖かったら、複数人で対応しろ。
場合によっては警察を呼べ。
虐待は警察案件で、生活安全課少年係が動く。

この中に一人でも気概の有る者が居たら、少女は救われたのだと思う。
しかし現実は、揃いもそろって事なかれ主義のサラリーマン根性、
いや、問題を起こさない様にしようとする公務員根性の連中ばかりだ。

俺がこんなに偉そうに書いているのは、
俺は親から虐待を受け、二度も自殺未遂をした少女を保護した事があるからだ。
虐待をしている親が何を言おうと、
子供を保護する信念があれば恐怖など湧かないどころか、
虐待をする者に対して怒髪天を突いた。
少女は無事保護されて、今は元気に暮らしている。

結局学校も教育委員会も安い公務員だったのだ。
少女を保護するよりも、起きた事に対していかに問題無く納めるかが重要だったのだ。
少女は、周りの顔色を窺う事なかれ主義の大人たちの犠牲になってしまった。

それよりも何よりも、虐待を行った父親、それに対して何もしなかった母親、
こいつらには厳罰を望む。
PR