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役人の司法

役人と言うのは、新しい事をやりたがらない。
基本的に前例主義だ。前例に無い事はやらない。
なぜなら、もしも前例に無い新しい事で問題が発生すると、
その責任を取らなければならないから。
自分の生活を犠牲にしてまで前例の無い事はやらない。
だから役人がやる事は前例主義なのだ。

新幹線の中で何の落ち度も無い人を二人殺した鬼畜の裁判、
この鬼畜は無期懲役を受ける為に二人を殺害した。
何の落ち度も無い二人を殺害したのは、
自分が無期懲役になりたかったからだ。

裁判の中で被告はその旨公言している。
鬼畜の希望は、
1. 無期懲役になる事
の一点に尽きる。

検察は、過去の事例から無期懲役を求刑した。
裁判所も過去の事例から無期懲役の判決を下した。
被告は裁判の最後に万歳三唱をした。

そりゃそうだろう、
鬼畜は最初から無期懲役になりたかったのだから。
その為に二人を殺害した。
一人では有期刑になるし、三人では死刑になってしまう。
だから二人を殺害した。
そして希望通りなって喜んでいる。

殺害された人は浮かばれるか?
鬼畜の要望を満たす為に無下に殺害されたのだぞ。
そして司法は被告が一番喜ぶ判決をくだした。
検察も、裁判所もだ。

判決理由に裁判所は、
過去の判例を元にした旨を公言している。

あほか。
全てが被告の希望通りではないか。
裁判所は鬼畜が懲役の中で反省するとしているが、
こんなバカは反省などしない。むしろ喜んでいる。
検察も裁判所も、どうして鬼畜が喜ぶ様な事をするのか。

それは全て前例主義によるものだと俺は見ている。
検察も裁判官も役人だからだ。
前例に無い事はやりたくないのだ。
そして鬼畜が一番望んでいる結果をだした。
バカじゃねぇの?

俺は経験から言うんだが、
日本の司法に正義は無いぞ。
すべからく前例主義だ。
いくら道理に合わなくても、信義に合わなくても、
全て前例主義だ。
だから悪い奴がのさばる世の中になっている。
その陰で善良な国民が泣いている。
これが日本の司法の現実だ。

世論的に検察も裁判所も叩かれる事になるのだろうな。
検察も裁判所も一致した判決をだしたのだから、
上告のしようもない。
全て鬼畜の要望通りになって、
無意味に殺害された人や怪我をした人は、
何にも浮かばれない。
鬼畜の喜びの為に殺され、傷つけられただけだ。

日本の司法は死んでいるな。
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