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祇園精舎の鐘の声

俺は、学校を卒業して就職し、
独立するまで、3社不動産屋を渡り歩いた。
その全てが消滅した。

最初に入社した会社は、学校の紹介で入社した。
俺は商学部だったんだが、
必修科目の簿記の先生が、
最初に入った会社の経理顧問だった。
運動部だった俺は、
4年の秋まで部の面倒を見ていたから、
就職活動ができなかった。
その代わり、
当時、学校の学務部長だった顧問が就職を世話してくれたのだ。

入社して最初に仕入れ開発部に放り込まれ、
不動産のふの字も知らない俺は、
そこで不動産の基礎を徹底的に叩き込まれた。
今俺が在るのは、そのお陰だ。

その会社が二年前に解散していた。
多分、社長が亡くなったのだろう。

次に入った会社は、
最初に入った会社の上司が独立するってんで、
一緒にくっついて入社した。
その会社では、
不動産会社の全ての業務を担った。
土地の仕入れ、開発、造成、建築、販売、ローン決済。
全部一人でこなせるようになった。
しかし、
社長の女である専務と俺は折り合いが悪くなって辞めた。
その会社は、
リーマンショックの影響で、
リーマンショックから数年後に破綻し、
更にその数年後に社長が他界した。

次に入った会社は、
二度目に入った会社の取引先で、
言うなればヘッドハンティングされた。
その会社の社長は遊び人の二代目ボンボンで、
不動産業務については丸で素人だった。
そこで俺は身につけた知識と実績で、
思う存分仕事をしながら資本金を貯めた。
その会社は多角経営をしていて、
他の事業が不調に陥り、債務超過に陥ったため、
飛び出して独立した。
その数年後、
その会社は破綻した。
当時、運転手付きのプレジデントの後席でふんぞり返っていた元社長は、
今は毎朝バスに乗って、
どこかにアルバイトに行っているらしい。

現在俺は「食えればいいや。」のスタンスで、
零細企業の不動産と建設の会社を経営している。
俺が育った会社がみな無くなってしまったのは、
ちょっとさびしい気もするが、
まぁ、成り行きとしてはそうなるだろうなと思っていたから、
特別な感情を抱くことは無い。

ただ、
どの会社でも、
良い経験と実績を積ませてもらって、
独立するのに必要な力を付けさせてもらった事には、
感謝している。

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。
猛き者もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。
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